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ビル・ゲイツ
ハーバード大学の学生から超一流のソフトウェア会社の社長へ
「マイクロソフト」
つぶやくととても軽く、上品な音のするこの言葉がマイクロコンピュータ業界の人達の口で囁かれ始めてたのは、77年初春のことであった。
その頃サンフランシスコでは、全米でテレビでも報道されたコモドール社のパーソナルコンピュータPET2001が発表されたてのことであったが、この天才が作ったと言われるパーソナルコンピュータのプログラムは、マイクロソフト製であると言うのだ。
続いて全米一の電気チェーンのラジオシャックがTRS-80パーソナルコンピュータを発表したが実はこれもマイクロソフトがプログラムしたということが伝えられた。売れに売れているパーソナルコンピュータのトップの2機種のプログラムを作っただけでも目を見張る技なのに、よく話を聞いてみると、あのAPPLEもIMSAIも、もちろんMITSも・・・・
なんと現在発売され、かなりの成功を収めているパーソナルコンピュータと呼ばれるものの、ほとんど全てがこのマイクロソフトの作ったプログラムなのである。
ことパーソナルコンピュータに関してのソフトウェアは、この企業の独占状態にあると言える。
ビル・ゲイツ22才、ハーバード大学在学中で人文学専攻の彼こそ「マイクロソフト」を作った男である。
アメリカ人は、なかなか「天才」と言う言葉を使いたがらないが、彼を知るほとんど全ての人達が「彼は天才である」と言う。
彼は、このプログラミングをハーバード大学の学生寮にいるときに始めた。
もともと中学時代からコンピュータをいじるチャンスがあり、若い伸び盛りの時に独学に近い形でほぼ完全にコンピュータの理論を学んだ。
中学の時、学校のコンピュータシステムのプログラマが、設計に失敗し、もうすぐ新学期という夏休みの前にとうとう途方に暮れた先生が彼を捕まえて「何とかしてくれ」と頼み込んだのが始まりである。
僅か約1か月間で「課目選択登録システム」を完成させた。
これで彼の学校は、コンピュータが動かないと言うトラブルを未然に防げたのである。
茶目っ気を出して自分のいるクラスを彼と友達との他は、すべて美人の女学生にしてしまったことがあると言う。
彼は、笑いながら「もう時効になっているからなぁ」と言いながら話をしたのである。
最初の企業との契約は、ニューメキシコに在るMITSであった。
MITSは、1975年の初めにインテル製8080を使用した最初のマイクロコンピュータを発表した。
これで走る初めての「BASIC]を書いたのが最初の仕事になる。
この米国初のコンピュータ「Altair」は、当時で約400ドルしたが爆発的に売れた。
何でもある金曜日の一日の売り上げが200台ということであった。
このコンピュータが売れるにつれてマイクロソフトには、売り上げに比例したロイヤリティーが入ってくることになっていたのである。
この契約の成功がきっかけとなって彼らはプログラムの開発に寝食、勉学を忘れて続けてプログラムの改良に専念した。
同時に注目するべきことは、スタッフを増やして、さらに大きなプロジェクトに取り組み始めた。
いわゆる成功の秘訣のマネジメントというべき所であろうか。
ハーバードの若い優秀な頭脳がソフトウェアの重要性に注目してから3年目にして年間約10億以上の売り上げを達成する会社を作り上げたしまった。
ビル・ゲイツは、現在世界の有数の大富豪である。
しかしその手腕は、かなり強引な部分があって色々と多くの逸話を残しているのだ。
何れにしても彼の功績は、大きいものがある。
以上